魅入られて 1-5-2

 このころのアカネは、平日は忙しいのかほとんど連絡を寄越さなかった。心にゆとりがあるときなのだろうか、そんなときまるで思い出したかのようにたくさんの連絡をくれた。これはこれで二人のためでもある。意識はしていても、あまりにべっとりくっつかない関係もまた良いものだ。

 

 私は高校時代から、いわゆる「プラトニックな関係」に憧れを抱いてきた。

成人男女では最終的には肉体関係に陥りがちになる。それはそれで自然な関係だし、むしろそうならない方が不思議でもあるが… しかし相手が高校生ではそれはできないし、もちろんしてはいけない。そういう意味では、べったりくっつかないアカネとの距離関係の方が良いのかもしれなかった。

 

『こんばんは。ゴキゲンいかが?』
「こんばんは。ゴキゲンわるい… なんてね」
『奥さんとケンカ?』
「してないべ。なんかいろいろうまくいかない」
『アキとケンカ?』
「のー! 気が回らないうっかりが多いの」

 

『美味しいもの食べたら?』
「美味い刺身! アカネの好物は?」
『ハンバーグ!』
「いとど?」
『??』
「あまーーーーーーい!」
『ああ、(笑)(笑)』


「私はお寿司とステーキね」
『お寿司。回らないとこ』
「ぜーたくすぎ」
『トロ食べたいよデス つれてって』
「✖」
『けち』
「んなカネないわ!」

 

『ソバ屋のカツどん!』
「いいねぇ。シンプル納豆ごはん」
『納豆むり』
「TKG!」
『毎朝でも』
「さて、私はねるよ」
『アカネも寝ようっと』
「おやすみなさい」


『おやすみなさい  ねぇ元気出して!』
「サンキュ (涙)」

 

やはり相手によって展開は変わる。二人の個性に違いが際立って、私には興味深かった。

ドラマやアニメの中のJKは、理想的に可愛すぎてむしろ怖いくらいだが、現実には怒ったり笑ったりむくれたり甘えてきたりで、楽しいけど大変で、やっぱり怖い。
主に夜のコトバだけの交際で、互いに他愛もない暇つぶし程度の間柄。ただ時間が長くなったり時刻が遅くなったりすることがあって、そこが心配と言えば心配だった。
アキの場合、遅くなるのはたいていこんな理由である。

 

「じゃ、おやすみなさい」
『ダメ、アキはまだ寝ない!』
「良い子はもう寝る時間だよ」
『アキ悪い子だもん。まだ眠くないし』
「私は眠いのだ。明日起きれん」
『あ、やだ ひとりにしないで』
「また明日も話せるよ」

 

『センセ』

「ん?」
『センセが寝てから話せる相手を見つけよっかな』
「あ、浮気?」
『そう、浮気浮気。でもセンセだって奥さんいるじゃん』
「いるよ… でもさ…」
『え、レスなの?』
「きわどいな… が、否定はできん」
『どのくらい? 年単位?』
「おいおい…」

『したくなったらどうする?』
「と言いますと?」
『ユメユメとか?』
「ユメ?」
『AVの赤井ユメ』
「はて?」


『見て、するの?』
「またまたきわどいな、ノー米」
『?』
「ノーコメント。ウソはつけない」
『するんだ』
「否定はしない。アキは」


『しないよ』
『ええええっ? またまた』
『するとこがない』
「したいけど? お気の毒に…」

 

『ねぇ離婚はしてくれないの?』
「おー まいがっ! 飛躍! 

 …ってさ、うちらまだ何にもないし。そもそもアキとはざっと四十才違い!」
『うん。だけどね、ぜんぜんOK』

 

 こんな調子で、ついつい寝るタイミングを逸してしまう。こういう会話を楽しいと思ってしまう自分が確かに居た。決して褒められたことではないが、お互い日頃の憂さをこうして晴らしているのだった。これは夢の世界であり、現実ではないのだ。ただ、笑い事ではなく眠い毎日でもあった。

 

 打ち解けて来るにつれて、相談ごとや悩みも持ちかけられるようになってきた。

 

 かつて自分がこの学校に来るのを渋ったことを書いた。実は…幾つかのウワサを聞いて、良くない印象を持っていたことも一因であった。

 いわく、調べ学習と称してほとんど授業をしない教師がいる…とか、

 いわく、生徒の中にはアルバイトが蔓延しているし、中には風俗にも…とか、

 いわく、援助交際で補導された生徒がいる…とか、

 いわく、暴力行為で逮捕されそうになった生徒がいる…とか、

 いわく、某教師が生徒とデートしているのを撮影され、それをネタに恐喝されていたとか、バレて他校へトバされたらしい…とか、

 いわく、某教師が生徒と関係を持っていたのがバレ、急遽内密に退職したとか、

 いわく… いや、もうやめておこう。

 

 実際に異動して、多くの生徒との雑談や客観的証拠を考え併せると… 多くは単なるウワサや憶測に過ぎないものだった。しかしどう見ても真実という話も複数存在したのである。無論彼らは現代の学生らしく、それらしい材料は散りばめていても、直接名前を出してチクりはしない。だから学校の事情に疎い私には誰のことを指すのかは結局分からなかった…というワケだ。

 

 そう、今までは。

今では結構事情がわかるようになっている。

 

 そして…アキはそういった「あるウワサ」の当事者だった。

そしてそれに苦しんでいた。

 

 アキは… それを私に言う必要など全く有りはしない。しかしあるとき

 

『先生、相談があるのですが聞いてくださいますか』

『聞いてくれるだけでいいんです』

と、妙に改まった、まるで正座していそうなラインが届いた。

 

「どうぞ、もちろん秘密は守る」

『その前に… センセを信用してもいいですよね』

「どうかな? 怪しいなら言わん方が良いぞ」

『ごめんなさいニンゲン不信なんです、ゴメンナサイ』

「良いさ、私もそうだ」

『えっ? いつも楽しそうですよ』

「じゃ、私の演技力はたいしたもんだ」

 

このあと私の精神状態をある程度語り、

『へぇぇぇ、そうだったんだ』

となったところで、唐突に彼女の告白が始まった。

 

『センセ、アキのスマホのルナルナ知ってる?』

「ルナルナ? お月様か?」

『アキは女の子だよ』

言われて思い出したのが某CMである。

生理周期とかを予測したりするアプリのはずだが、乙女にはあまり用がなさそうだ。

「見てないが…うん、わかるよ…」

 

『センセ、○○のウワサ知ってるよね』

「うん」

『アキなの、アレ』

「リアルには…って 

 うむ、なるほど了解」


 初対面に近いJKが、自分の都合悪い過去を語るはずもない。しかも学校の廊下で、だ。そのくらい察するわ…


『ありがと。アキ友達少ないでしょ…

 だって無視とかされても仕方ないの』

「でもゆりもあかねも」

『ワケアリの吹き溜まりだよ』

「そういうもんか…」

そ アキの友達も全部クソ』

「そんな…まてまて」

『勉強になった? それでね…』


 ここでその話を書いてしまえば、もっともっとこの物語の本質を理解していただけるに違いない。しかし約束した以上、ここで内容を書くことは控えようと思う。たとえ相手が私を裏切ったとしても、そこは私の意地でもある。

 

 こんな話の途中、うかつに「もう寝る」とは切り出せない。アキが眠くなるか、泣き疲れるか、こっそりリスカしたくなるまでお付き合いが続き、結局翌朝は睡眠不足で御出勤ということになるのだった。それはそれで悪い気はしないのが不思議だった。

 

しかし、楽しい日々は長くは続かなかった。

 ある日学年一と言われるモテ男が、果敢にアキにアタックしたらしい。私が言うのも難だが、なんせ見てくれだけは美少女なのだ。ちょっと寂しげな瞳で下から見上げられたら、大抵の男は堕ちるに違いない。

 あんなに慕ってくれたアキだったが、いっこうに実りのないこちらを捨てるのは当然の選択である。ほどなくライン関係も尻すぼみになり、廊下で偶然会ったときにやや親しげに挨拶するだけの間柄になっていった。私としては寂しいけれど、高校生にはよくあること… むしろこれが当たり前の姿である。

 それにしても… よくあの前歴のウワサを知りつつアタックしたものだ。私はむしろそっちの方に興味が湧いてしまったりする。

 

 他の先生はいったいどうなのだろう?
イケてない私でもときにはこういうことがあるのだから、他も推して知るべし…というところではないだろうか。こういった話はキワドすぎて、ほぼ話題になることはない。

 下手に同僚に相談した結果チクられでもしたら、元も子も無い。コンプライアンス(法令)遵守とか、管理職に相談とか言われても、相談相手自体を信じていないのだから、結局自分で何とかするしかないのだ。


 それに私は…決して自分から誘ったり手を出したりすることはないのだから、問題が起きるはずがない。
 
 もし…マニュアルどおりに相談したとしても、結局『メールやLINEはするな』だけに留まらず、「内容が問題だ」とか『なぜ連絡先を交換したのだ』などの事情が聴取され、関係各所に「情報が共有され、監視される」ことは間違いない。だけでなく、必ず「処分」が付きまとうことになる。彼らが知った以上はそういうことになると、わかり切っている。
 それで相談とか、するワケないじゃん… ね。

 

 アカネの場合は、と言うと、普段はサバサバ快活なのに、たまに妙な拗ね方をすることがあって、それはそれで愛おしさを感じてしまう。1:1の会話に慣れてくると、怖いくらいに甘えん坊なJKに変貌することが分かってきた。同時に滅茶なジェラシストとでもいうのか… ものすごいヤキモチもカマしてくる。そもそもジェラシストなんて言い方、あるんだろうか?


 そして近頃のアキの変化に気付いたのか、それともお互いの情報を共有するせいか、態度が明らかに変わってきた気がしてならない。

 

『昇先生女の子に囲まれてた』
「仕事だもん、仕方あるめえ」
『別に良いけど、距離近いよ』
「そうだったかな」
『ユメカと怪しい感じだよ』
「そう言われても」
『それに笑いすぎ』
「そりゃクセだもん」

 

『かまちょしたら怒るからね』
「かまちょ?」
『構ってちょうだい、かまちょ』
「…しとらんぞ」
『近頃ね、先生のこと観察してる』
「時雨「野鳥の会」か?」


『今日ネクタイ曲がってた』
「ほ。気にしたことがない」
『アカネのこと見てる?』
「ときどきドキっ」
『見てるの?』
「見つめるワケにはいかん」
『仕方ないか』

 

「アカネはモテるじゃん」
『もてない』
「見る目ないな、世の男ども」
『可愛くない、胸ない』
「妊娠するとバレーボールみたいになるよ」
『この先未来が見えない』
「前途洋々じゃん」

 

『先生とだよ』
「えっ? おっさんからかうなよ」
『マジだよ』
「こらこら、青春捨てるな!」
『アカネじゃイヤ? イヤだよね?』
「なぜそう言う。楽しいぞよ」
『ホント?』
「付き合えないけど、仲良しじゃん」
『先生、アカネのこと見ててね』
「見てるよ」

 

『あ、遠足、先生のお弁当作ってもいい?』
「わかっていれば、歓迎」
『やった! じゃ、予約ね。作りたいの』
「では、謹んでお願いします」
『魔法掛けとく』
「ちょっと怖いぞ(笑)」
『アカネの昇先生になりますように』
「アカネ、ヘンな趣味だな」

 

『なにが?』
「私の弁当とか。彼氏怒らん?」
『いないもん』
「カリソメだから、アカネに彼氏ができたら、即辞退するぞ」
『できないからね、だめっ!』
「せめてもの思いやり。できたら教えて、約束ね」
『だから できないから』
「ウチにはヨメ殿がいるよ。それでいいの?」


『うん、でも浮気はダメ』
「う、うわきって? さ、寝るぞ遅いから」
『うん。おやすみ先生』
「またね、お休みアカネ」
『今夜はすごいこと言っちゃった。お休みなさい』

 

 もう、こうなるとどれが浮気なのか不倫なのか…
混乱してしまう内容だが、心のうちに虚しさを抱えた者同士のカリソメ(仮初め)の会話なのだ。強引に言うなら、行為なしの寝物語のようなもの。夜が明ければ魔法は消え失せ、いつもの朝がやってくる。そして昼間はごく普通の生徒さんとセンセの間柄に戻だけ。
 どのみち実ることはない。やがては彼氏ができたときには、アキのように静かに去っていくものだということを過去の経験が教えていた。いまさらそんなことに驚きはしなかった。

 

 かといってえこひいきをしていたワケではない。公的な生活では平等に接するのはあたりまえである。その他の人間関係は「相手の心を映す鏡のように」考えることにしていた。私に無関心なヒトには、職務上必要な関心を持ち、それ以上の余計な詮索はしない。私に関心を持って親しく接してくれるヒトには同様に返礼する…それだけのことだ。見守りはするけど、それ以上のことについてはするつもりさえもなかった。