魅入られて 2-7 予知

7節 予知

 

 世は明治、大正、昭和、平成、令和と進み、世相や人心も遷り変わりもまた甚だしい。

 

 和装は洋装に置き換えられ、髷を結うものは絶無と言っても良い。たまに観光地や京都などで見かけることがあっても、それはTVや映画の撮影だったり、エキストラが誇らしげになんとなさげに目的をもって電車に乗ったりして見せつけるように着ているものである。無知と無教養がブランド化して、大いに流行したこともあった。

 大袈裟に言えば、あたかも末法の世の現出のようでもある。


 そして… コミュニケーションツールの変遷こそ著しかった。

 

 かつての「手紙」や「駕籠」や「早馬」といった手段は、文明開化とともに有線ケーブルを用いた「電信」「電報」「電話」に置き換えられた。しかし…なにかと有線ケーブルは不便でもあった。

 

 無線的通信手段としては、「太鼓の音」のような音波と聴覚的手段を用いたもの、「狼煙(のろし)」のような光と視覚的手段を用いたもの、「伝書バト」のように、非・人的手段を用いたものがあった。いずれも起源はわかっていない。これらの手段に共通する欠点は、情報量が少なく一方向であること、不明確なことを問い合わせられないこと、情報手段を他の者に知られ、逆情報として利用されたときに致命的なダメージを受けることである。

 

 第一次大戦中、ドイツで苦戦中のカナダ大隊が伝書用の「ハト」の補給を受けたときのこと。しかし、腹の空いた兵隊は伝書用には使わず、名物の「ハト肉のミートパイ」にして食べてしまったというエピソードさえある。こうなるとハトにとっては「味方はいなくて全員が敵」という皮肉な結果になるわけだ。


 ハトぽっぽは、相手(つまり敵)にとっては知られたくない情報を運ぶ侮りがたい敵であり、現に『相手陣地に向かって飛ぶハトは全て撃ち落とせ』という命令の記録さえ遺っている。第一次世界大戦の陸上戦は塹壕戦(ざんごうせん:地面を掘った溝を陣地にして戦ったり待機したりする戦い方)が多かったから、これは当然の命令といえるだろう。戦争の前では、ハトぽっぽが可哀そうなどという感情は何の意味もない。


 日本のハトぽっぽ政権はとんちんかんなことばかり… いや、やめておこう。

 

 ドイツ人ヘルツが発信機および受信機の基本を発明すると、イタリア人マルコーニらはこれを実用化しようと工夫を重ねた。はじめは数百mだった伝送距離は6.6km、16kmと伸び、やがて陸上と船舶の間の66海里(約120km)を結べるようになったという。


 1901年には大西洋を挟んだ2点、およそ3500kmの伝送実験に成功したと言われ、港湾施設や船舶への設置が行われるようになった。とくに、あの「タイタニック」の救難信号「SOS: ・・・ー ー ―・・・ ・・・ー ー ―・・・ 」が受信された事実が伝わってからは、一気に装備の普及が進んだと言われている。

 

  「モールス符号を用いた電気通信(電信)」は、当然ながら外交的および軍事的な要求からまたたく間に普及した。例えば日本とヨーロッパの間の通信は、手紙や人間ではスエズ運河を使ってさえ、最短で二か月は見込む必要があった。しかし無線電信ならば、いくつかの中継所を用いて、即日に近く伝わるのである。


 もっとも… 中継所近くやその他の場所でもアンテナと受信機(レシーバー)さえあれば盗聴は可能であり、筒抜けを防ぐためには「暗号」を用いる必要はあったが…


 かといって有線通信もやはり危ない。現に日露戦争から太平洋戦争中の大日本帝国と欧州諸国の政府間、または大使館等のやりとりは、ロシアによって盗聴されていた。電話会社のケーブルは「シベリア鉄道」に沿って敷設されていたのである。そして言うまでもなく「シベリア鉄道」の元締めはロシアであり、電話会社の大株主もまたロシアであった…


 暗号解読の理屈は面白いが、いざやるとなると途方もない根気と労力と紙とが必要である。

 例えばアメリカ軍の暗号解読メンバーは、日本語の官庁のコトバの特徴に目をつけ、これを解く参考書にしたという。


 例えば文の語尾には

  …アリ

  …ナリ

  …スベシ

  …ナドトイフ(などと言う)

などというコトバが多用されること。


  マスマス

  シバシバ

  タビタビ

などのメガネコトバがシバシバ使われること。


 そんな特徴を把握分析しつつ、怪しそうな誰かの身分照会をしてみたりするのだ。


 仮に露国人(ロシア人)プーチルの身分照会をすると、日本政府からはアメリカの日本大使館に向かって暗号で回答①があるだろう。

 日本大使館ではそれを翻訳、平文化(普通の文に変える)して回答②を寄越すだろう。


 暗号化された①と②を比べれば、たとえ語順を入れ替えてあったとしても、必ずなヒントは掴める。そこには露国人プーチルの名前が何度も現れているだろうし、語尾やメガネコトバなども重大な目印になるだろう。

 日本語の構造は特殊で、どの言語よりも難しい…とされてきたが、こうしたアタックを何度も繰り返していけばいつか解けるものらしい。


 だから…暗号というものは本当はシバシバ変更する必要があるのだが、手間もカネもかかるうえに効果が見えにくいものだ。変更した場合でも全面的変更ではなくマイナー変更が多かったという。

 つまり…日本の暗号は、使い方を誤ったせいで、思うより脆弱だったのだ。


 そんなワケで… 昔の暗号は、まあ数と頑張りで解けたものらしい。

 現代人の量子化暗号は解読が不可能とも言われている。しかし、いつか解ける日も来ることだろう。

 

 無線通信も始めはトンツー方式で伝送の遅いのモールス信号から、AMやSSBの片通話方式(シンプレックス:ひとりが話す間、もうひとりは聞くだけ)へ、やがては周波数を浪費するが音質の良いFMに代わり、いまでは携帯電話による両通話方式(デュープレックス:ふたりが同時に普通に会話できる)があたりまえとなっている。

 

 これがまた… アプリ(アプリケーション)によっては企業からの広告収入のおかげで、料金さえ無料というウソのような世の中で… ユキ(蛇塚の起源にあたる蛇)や弥吉(ユキを斬って重症を負わせたあと、自らの過失で失血死した人間)の時代とはまさに隔世。
 しかし、ユキたちの執念と怨念は、二百余年を超えて一族に受け継がれていた。

 

 ユキ、そしてユキの子にあたるアオとギンはあれからどうなったか。

 そう、彼らの会話術は着実に進歩していた。もともと、ヘビとは穴居性のトカゲが肢を失くした一族である。暗い場所での生活に適応するのは早かった。また暗いがために、視覚は衰えたが聴覚や嗅覚が異様に発達し、第6感が鋭くなっていた。


 ヤコブソン器官を酷使、と言えるほどに用いた結果、特に大脳皮質の発達が著しくなった。ヒトのそばにいる生活が、彼らに言語と教養を与えた。
 ただ… それだけのことならば、単に「少々変わった頭良さげなヘビの誕生」で終わったことだろう。

 

 不思議で不幸な偶然は、太平洋戦争によってアメリカ軍によってもたらされたと思われる。

 その偶然とは… 燃焼性のナパーム弾による爆撃と、現在でも極秘の「通常爆弾型劣化ウラン弾」と戦後の進駐軍がもたらした殺虫剤「DDT(Dichloro-diphenyl-trichloroethane:ジクロロ・ジフェニール・トリクロロエタン)」の相乗的作用とでも説明するしかない、不可思議な突然変異だった。


 ナパーム弾は、ガソリンに粘り気を与え、木造家屋を焼き尽くすことに特化した、あまりにも有名な爆弾である。1945年3月10日、非武装の日本人を含めた「無差別爆撃」で東京の下町あたりを焼き払ったアノ爆弾である。

 

 ナパーム弾は蛇一族の棲む町にも落とされた。一族は空襲の不幸を予見したものの、穴から出る方がむしろ危険だという予測で一致した。結果的に周囲2km以内で焼け残った建物はなかった。しかし一族の住処周辺は爆弾の直撃を免れ、地下であるがために熱風と酸素欠乏と一酸化炭素による酸欠死を迎えずにすんだのだ。たしかにエサである小動物や虫が減って、飢えに苦しむ日々はあったが、もともと変温動物で絶食には相当強いことが幸いした。

 

 それから三か月ほど経ったある日のこと、4機の戦闘機に続いて1機の爆撃機がやってきた。一族はこれも予見していた。しかし誰も、どこにも逃げることはなかった。この住処を出ることは、すなわち死ぬことだと誰もが予見し、逃げ出すことを拒んだからである。誰かが住処の下層に移動すると不安感が減ることに気付き、みんなで下層へ移動し、さらに下層階を住みやすく整えて、運命の日を待つことにしていたのである。爆撃機は落とした… 運命の一弾を。


 この爆弾について、公式の記録はない。しかし…通常の空襲ではなかったことを、さまざまな状況証拠がしめしていた。

 

 予見。あらかじめ、つまり事前に予知すること。

 そんなことが可能なのか、という前に、実際そんな体験はないだろうか。
いわく、正夢。いわく、ムシの知らせ。いわく、第六感。いわく、デジャブ(既視感)。古今東西を問わず、そんな体験があったからこそ生まれたコトバであるにちがいない。

 

 私は、家族のだれもが気付かなかった泥棒の襲来を、感知したことがある…2回も。


明らかに痕跡が遺っていたから、来たことだけは間違いない。
 一度目は庭中に地下足袋の足跡と「大便」が。
 二度目には雨戸を鑿(ノミ)で削って外そうとした痕跡が。


 あのとき私が騒いで一家が起きなければどうなっていたかは誰にもわからない。少なくとも… 平和の使者でないことはたしかであった。子供の頃の、おそらくはリアルタイムのまがまがしくもひそやかな物音を無意識で感じた感覚であり、予知とするのは烏滸がましいかもしれない。
  
 しかし… 今回の、この大大大災難を感じることはできなかったしな…

 いやちょっと待てよ…

 この高校への転勤をあんなに身体がイヤがっていたじゃないか…

 

話を戻そう。

 普段の観察や経験を通して、何らかの異変に意識しなくても勘づくことが大切なのだが、必ずしも正鵠を射るわけではないことが、学問として認められない理由だろう。


 蛇一族の「勘」は、このところもはや「予知」と言えるまでの練度に達していたが、ときに外れることもあった。そのために重大な行動を伴う「予知」は、一家で情報を交換し、同意する必要があったのである。