魅入られて 2-8節 爆弾

8節 爆弾

 さて、例の爆弾である。

 

 別の例を挙げて説明してみたい。静岡県島田市は、特殊製紙、実験機材、電波兵器などの軍需産業の他に、空中聴音機部隊や飛行隊と飛行場を持ち、中核都市ながらアメリカにとっては攻撃すべき目標であった。


 一九四五年七月、つまり終戦の三週間ほど前のこと、最初は富山を狙ったB-29(BはBomber、つまり爆撃機)が天候不良で果たせず、変更した目標として島田市が狙われたのである。このとき落とされた爆弾で四十九名の死者が出たと伝えられている。

 

 落とされた爆弾は通称「パンプキン(かぼちゃ)爆弾」。

 なんじゃこりゃというずんぐりしたかぼちゃに似た形と、とんでもない重量が特徴だが、同年八月九日、長崎に落とされた原子爆弾ファットマンと、瓜二つのそっくりさであった。つまりアメリカ軍は…島田市だけでなく、この他日本各地の48か所で原子爆弾投下の練習を行ったのである。パンプキン爆弾は四.五トンもの重量があり、1発落とせば当然飛行機は大揺れする。また投下後は全速力で避退する必要がある…だって原子爆弾だもん。したがって念には念を入れて投下訓練および落下軌道の確認をしたのであった。こうした確認試験に紛れる形で、実は本当に極秘の爆弾の投下が1回だけ行われている。ユキ一家を見舞ったのは、実にその爆弾であった。

 

 ユキの一家近くに落とされた爆弾について、『この爆弾について、公式の記録はない』と紹介した。それもそのはず、その正体は「通常爆弾型劣化ウラン弾」であり、「劣化ウランによる国土の汚染」を目的としたもので、史実からは完全に消されているからである。


 この爆弾は現代の「対戦車用劣化ウラン弾」とは性格が全く異なっている。アメリカは日本国土でのやっかいなゲリラ戦が予想される「日本本土決戦」を避けたかった。理由は、アメリカ兵士に多数の死傷者がでることが確実だったからである。またソ連ソビエト社会主義共和国連邦、現ロシア)の参戦が確実で、北海道や本州北部がソ連軍に占領される前に大日本帝国を降伏させたかったからでもある。

 さらに今後起こるはずの共産主義国ソ連(現ロシア)や中国との対決のために、健全な兵士を温存する必要があったからだ。またそうしなければいけない事情… 大統領選挙で勝つために… があったのだ。

 

 だから日本をやっつけるには、手段は問わずなるべく省エネで行きたいものだ、イエローモンキー(日本人の蔑称)は「神の子」の人類というより「モンキー」なんだから何をしてもいいだろう… それが偽らざる本音であっただろう。

 この爆弾には、日本人が住める国土を狭くして、ボディブローのように国民を痛めつけるという狙いが隠されていた。

 

 黄色いジャップ(これも日本人の蔑称)にお見舞いしてやるための爆弾… それを極秘にする理由は簡単だ。現代流に言えば、それはダーティ極まりない「汚い核物質バラマキ爆弾」であり、バレたら強い国際的非難を招くものだからである。ゆえにアメリカ政府や軍内部でもおそらく数人単位でしか知りえない性質の情報であり、トップシークレット(コンフィデンシャル、機密)であったのだ。

 

 では「劣化ウラン」となにか。
 第二次世界大戦の頃、戦車の装甲はただ厚く、砲弾を通さない強さだけを持つ素材で作られていた。アメリカ軍は「バズーカ砲」という新兵器を開発して、相手国の戦車次々を打ち破っていった。バズーカとは命中した瞬間、先端がスリ鉢型に成形された火薬の威力がまっすぐ前だけに集中する「モンロー効果」と呼ばれる作用で、火柱が防御鋼鈑を突破する砲弾の形式を指す。この方式は、対戦車砲弾自体の発射速度はあまり必要がない(つまり発射時の反動が少なくできる)ため、現在でも歩兵の対戦車戦兵器として用いられている。


 大戦後の敵味方互いの研究の中で、戦車には異なる素材や二重の防御鋼鈑などの複合装甲を装備したり、対戦車段が命中した瞬間に防御鋼鈑自体に仕掛けた火薬を爆発させてモンロー効果を削いだりする防御方法が考案され、実用化された。バズーカはかつての威力を失い、今度は対戦車砲弾が進化する番になった。

 

 次世代の対戦車砲弾は、小さくて重く、細くて硬い弾体で、しゃにむに複合装甲を一点突破するタイプであった。したがってその素材は、原子番号が大きく、単位体積あたりの質量が大きく、しかも硬いものが適しているので、通常は元素記号Wのタングステンという金属を用いる。そしてU(ウラン)という元素も、Wと類似した性質を持っているため、同じ用途に使える金属なのである。

 

 Uは放射性元素であり、原子力発電にも用いられる元素として有名である。初期の原子爆弾にも使われ、ヒロシマに落とされた「原爆」にはウラン140ポンド(約65kg)が含まれ、そのうちの約1.4%(約880g)ほどが核分裂反応を起こしたと計算されている。そのウラン880gの威力は、TNTという高性能火薬約に換算して約15000トンとされ、ヒロシマは一瞬で焼け野原と化したのである。

 

 かの有名なアインシュタイン相対性理論を端的に示す式


  E = mc2  Eはエネルギー、mは質量、cは光速:約30万(km/秒)

によると、E(エネルギー)は質量(≒1gがかかった地上での重さ)と等価、つまり変換できるものであり、僅かな質量が膨大なエネルギーに変わってしまった結果が、あの惨状だったのだ。

 

 そう、「劣化ウラン」の話の途中だった。
 原子番号92のウランを越える原子番号の天然元素は天然には存在しない(僅かに存在することがあとで判明)。原子炉や原子爆弾の素材として必要なのはウラン235(ウランの約0.7%を占める)であり、必要ではないウラン238(ウランの約99.3%を占める)が多すぎて、そのままでは役に立たない。そこで六フッ化ウラン(UF6)という気体に変えてから、ガス遠心分離機やレーザー光等を用いて軽いウラン235を集め、20%以上に濃縮していくのである。このとき不要なウラン238は当然余ることになるが、低レベルながら放射性ウラン235を含むので、迂闊に廃棄できない危険な廃棄物になる。そして当然のように、上に書いた弾頭材料として兵器に利用されるのだ。


 しかしこれも当然のことながら、放射線源であるウラン235少量を含むため、劣化ウラン弾が実用された地域、たとえば湾岸戦争で地上戦が行われた地域では放射能汚染が起き、がんや胎児の奇形が続出したと言われるような、たいへん危険なシロモノである。

 

 ユキ一族の棲む上空に落とされた 「国土の汚染を目的とした劣化ウラン弾」とは何か。端的に言えば、それは劣化ウランで包んだ通常型爆弾である。つまりは、原爆製造の過程で廃棄物になった劣化ウランそのものを、爆薬で広範囲にまき散らすタイプであり、特に風下では数十km以上の放射能汚染を招くはずだった。目的は瞬間的殺人や火災や破壊ではなく、放射線汚染そのもので国土を痛めつけ、じわじわと食料を汚染し、住める土地を奪い、日本人を死の淵に追いつめていくことであった。

 

 幸か不幸か、この爆弾は不発で予定どおりの爆発は起きず、ほんの一部の小規模な汚染が起きただけで済んだため、戦後の混乱もあって一般に知られることはなかった。破損した弾体は、あとで密かに回収されている。

 ここではデマを防ぐために、都市の名前を挙げるのも遠慮しておこう。

 

 それでも、放射能汚染はユキ一族の生活範囲を確実に捉えていた。ヘビの移動力でなんとかなる距離ではなく、おとなしく寝ているしか方法はなかったのである。


 そして… 影響は徐々に表れてきた。良い意味でも、悪い意味でも。

 

 またそれに拍車をかけたのが、殺虫剤「DDT」の相乗的作用であった。
DDTは「ジクロロ ジフェニール トリクロロエタン」の略称で、太平洋戦争後に進駐軍が持ちこみ、衛生状況の悪かった日本に「殺虫剤」として大量に散布された。しかし脊椎動物にも「性ホルモン」的な作用や発がん性、催奇形性、突然変異原性を及ぼしたのである。


 無論放射能汚染やDDTの「直接的影響」なのかどうかは不明だが、無関係とも言い切れない。この辺の事情は原発事故と同様な曖昧さでしか表現することができないだろう。

 そのせいか、因果関係を確実に証明することはできないが、ユキ一族には「常識では考えられない変異」が続いて起きた。それはもはや「進化」ともいうべきものだったかも知れない。