魅入られて 第1章 3節 努力

3節 努力

 3月下旬、実際に異動先に行って、会議で出てきた今年度の体制陣容案を見てみると…そこは私にとって惨状の嵐だった。つまり私が苦労と心労を否応なしに押し付けられている…ワケだから、陰で楽してほくそ笑むヒトビトがいるということになる。

 まず学年は二年部…げっ、苦手の修学旅行引率があるじゃないか! 私は身体があまり丈夫ではない。ストレスと疲れが疲れが蓄積すると何らかの変異…つまり何かの症状が出やすい。特に修学旅行は天敵で、何度苦い思いを噛み締めたことか…

 ずっと発熱してだるいままで決死の東京引率をした記憶、4日目に急性中耳炎にかかり、長野県で手術して帰りのバスの最後尾座席で寝込んで帰ってきた悪い思い出、旅行前の過労心労で肺炎に罹り引率さえできなかった九州、団長になった責任に負けて三日間不眠症状が続いた京都… さすがにあのあとは睡眠導入剤ハルシオン」を持っていくようになったけど。前の学校から連続になってしまう。本当に大っ嫌いなんだよな、あの旅行業者へのサービス行事…

 担任の件だけは、あらかじめ希望を伝えておいた。五年連続で担任をやり続けているし、新任で学校の様子がわからないし、何より五月に別居の母が大きな手術をするので、担任だけは外してくれと。良かった、副担任だったよ、ほっ…


 次に、理科教員の陣容に唖然とした。その状況をここで詳しく書くこともできるが、傷付くヒトもでるかも知れない。ただこう言っておこう。
 長年やってて、聞いたこともない布陣に唖然とした。
だって… 6人必要なのに、元からいたのは2人。つまり新任は4人ということで、ポーカーでいうなら「総替え」状態。
これって… ダメダメじゃん。
他に細かいことを言い出すと、キリもなし。

 

 さて、学校には「分掌」と呼ばれる役割分担がある。時間割や授業の関わる「教務課」、読書や図書館を司る「図書課」、主に部活動や生徒会のほか服装頭髪などを担当する「生徒課」などがあるが、私が充てられたのは「進路指導課」。その状況をここで詳しく書くこともできるが、傷付くヒトもでるかも知れない。ただこう言っておこう。
長年やってて、聞いたこともない布陣に唖然とした、と。
 だって… 本来元居たヒト2人に異動してきたヒト一人くらい、計3人ならまあ理解できるんだよ。

 しかしこの日の案では異動してきたヒト2人、しかも私も、もう一人もお年寄り。
ぜんぜんダメダメじゃん。
他に細かいことを言い出すと、キリもなし。

 

 こうして私の配置は決まったが、まともなのは学年部だけで、あとは無理やり強力接着剤で貼り付けただけの部署である。帰る頃には既にヤル気など見事に失せていた。今までの三十五倍の長い帰途を辿りながら、不意に消えてしまいたくなった。まだ桜の花びらが遺る三月下旬の一日だった。

 

 会議だらけの一日が終わり、馴染みの快晴高校職員室に寄って本日の首尾を語っていた。
「ははは、通勤距離なんて、今までの三十五倍、三十五倍ですよ」
『…と言ってもさ、今までが近過ぎたんだよ』
「はは、バレたか… 玄関から正門まで四百歩だったからなぁ。」
『今度は何キロなの?』
「ざっと十.二kmかな」
『増えたねぇ』
「そう、四十分掛けてもなかなか着かなくて…(笑)」
『分掌と部活は?』
「それがもう、想定外の話ばかりでさ、ちょっと聞いてよ。まず担任は外してくれたんだけどさ…」
などと感想を話していると、なぜか私あての電話が取り次がれてきた。
「えっ、時雨高校からですか?」
替わってみて…再び激震に見舞われた。なんと担任をやれというのだ。

 

 お- まいがっ…!


 そんな… 長年やってて、聞いたこともない事態に唖然とした。

 私が引き受けなければ時間割も組めないという。瞬時ためらったが、バックアップは全面的にするまで言われて引き受けないワケにはいかない。ちなみに口約束は、読んで字のごとく、意味もそのままの「口」約束だった… がっかりだよ…


 周囲からは『とんでもない、聞いたことない』と同情されたが、今の事態には何の効果もない。この辺で当初の「単なる嫌悪感」は抜き差しならない「不信感」に変わりはじめていた。当初担任でなかったことに安心して、担任関係の打ち合わせなどは半分上の空、ろくすっぽ聞いていなかった私も悪かったが、後になって幾つも困った事態が押し寄せてきた。

 

 何も分からないままの私に任されたクラスは授業教科の組み合わせが最も複雑で、当然選択授業での教室の配置、同様に選択科目のテスト時間や席順など多岐にわたる指示を待ったなしでおこなう必要があった。事情が分からない私であることを承知していながらこういった任務を行わせる学校の体制には、今でも強い不信感を感じている。当然我ながらあらゆる指示にも精彩を欠き、それを自身で感じ取って…あたかも鬱病五分前という心理が続いた。

 また担任交代の隠された事情も徐々に明らかになってきた。それをここで詳しく書くこともできるが、傷つくヒトが出る可能性もある。差し障りのない程度に概要だけ書くと…

 要するに、ある教員がわがままを言って逃げたのである。この教員は周囲から好かれてはいなかった。詳しくは書かないが、周囲が「あらゆる意味で一番大変なところを持たせてちゃえ」的ないらせがらというか、いじめ的な側面があったのではないかと想像している。あとで数人に事情をきいてみたが、その「いやがらせ説」は全員が否定した。ある意味あたりまえで、「いやがらせしてました」などという告白をするはずがない。しかし…私は確信している。

 だから… ただこう言っておこう、恨みますよ、と。

 要するにこうした嫌悪感や、それを容認する学校の体制や管理職への不信感が積み重なって私の正常な感覚は麻痺し、今思えば徐々に精神的腐敗が進行していった。私は元々真面目過ぎるくらいの性格だし、顔はイケてないし、前髪は寂しいし(それは「ハゲ」と言うんだよ、おっさん)であり、JK(女子高生)との疑似恋愛関係に堕ちることなど夢想もしてはいなかったよ、JK(常識で考えて)。

 敢えてくどく説明するが、私が嫌ったのはこうした学校の姿勢体制と教員であって、生徒さんではない。たしかに「精神年齢が低すぎるお客様」もいたが、逆にそれはどんな進学校でもどこでも存在するものである。違うのはその「割合」だけだ。とりわけ我がクラスには多めに配合… なんてことはないよな、テヘヘ。そこまで行くと「被害妄想」ってヤツだ。そこまでメンヘラちゃんではない。

 あはは、そんなことあるワケがない(苦笑)

 

 この学校の、特に女子生徒の多くは、実に愛想が良い。私の顔を見て大きな声で挨拶をしてくれる。私も負けずに挨拶を返す。気分はどしゃぶりの豪雨でも、なるべく元気に… これは仕事だ。

 

すぐに会話の常連ができる。

『こんにちは、アタシ浅井です。名前はね、愛するの「愛」に「美」しいね。さて何て読むでしょう?』
『アタシは栗田美鈴。もう覚えてくれた?』
『高山昇(たかやま のぼる)先生、もう覚えてくれたよね、アタシ、だ~れだ?』
『あ~、忘れちゃったの、ヒド~い! 訴えてやる(笑) ミユだからね!』
『マミばっかり覚えたとか、ズルい! あ~可愛い子は得だな』
その他の仕事が精神的に不毛な分だけ、こういう会話は理屈抜きで楽しい。


 マミもミユも美鈴(ミレイ)も愛美(マナミ)も、みんなみんな可愛いらしいお嬢様であった… 
 あの時点では全員、が。

 

 日本人は良くも悪くも全体主義的傾向が強いと思う。やたらと「統一」とか「揃える」ことが好きで、ちょっとでも外れると「自分の評価が下がる」と思ってきびしく責めるのだ。学校ではいつでもこのテの全体主義者の意見が管理職にウケるのが現実である。そしてそういう方が生徒にはコトバも粗く威張り散らし、自分が王様だと信じている傾向がある。管理職の中にもそういう前身だった方はたくさんいらっしゃるし、それが「指導力」だと考えているのだろう。確かに普段は平和に治めることができるが、生徒の自主性は育ちにくいと思う。

 

 五月、母の手術は大規模だったが幸い悪性ではなく、一度で除くことができた。しかし私のあまりの体調の悪さに、入院日や手術当日は傍にいられず、後に三回ほど見舞いに行っただけだった。実はこのとき初めて知ったのは、風邪等で体調が悪いと手術の立ち合いができない、ということ。感染という観点から見ればあたりまえだが、今日この時まで知らなくて… 結局母の兄夫婦に立ち会いを託して、私は自宅で静養に努めるしかなかった。

 常にダルクて微熱があり、痰が絡んで声が出にくくなり、嗅覚と味覚をほとんど失い、疲れ切っている。この体調の悪さの原因は、今なら「強度のストレス」だと断言できる。しかし当時は周囲への気遣いと強がりとで、素直に認めることができなかったのだ。つらかったなぁ…

 

 授業自体は、声が出ないことを除いてあまり困らなかった。生徒さんの反応は悪くないが、かといってさほど熱心とも言えない。

 それでも成績不良者を出さなくするコツはすぐに掴むことができた。要するに課題を明示してしっかり取り組ませること、取り組む雰囲気を作ること、その課題そっくりの問題をテストにほどほど混ぜること、応用問題は課題の範囲でしか出さないことだ。ただ成績優秀者を集めたクラスでその按配を間違えると、平均88点などべら棒なことになり、慌てたこともあった。
『やべ、手加減し過ぎたわ… テヘ』

 

 すべてにわたって戸惑いためらい迷っていたが、適応するための努力も続けていた。出勤前には毎日大きなため息をついていたよ、とヨメ殿は今でも笑いのネタにする。もっとも困ったのは、そのため息が最後まで途切れることがなかったことだった。