魅入られて 第1章 4節2

 私は「科学部」の顧問を受け持たされていた。その科学部の部員に長野ユリがいた。そしてユリの親友が黒縞アキと朽縄(くちなわ)アカネだったのである。ユリは明るく人懐こく、スマホ大好きで、とりわけ人目を惹くことが得意なJKだった。

 ユリとアキが並んで歩けば、ユリの方が少し大きく見える。ユリは頼みにくい事があると自然に身体を寄せてきて、言うべきことを小声ではっきり言う。その「小声」と「はっきり」のギャップが微笑ましい。


 アカネは標準的な身長に白い肌、筋肉質の身体のスポーツ万能少女だった。そしてこのユリやアカネも、私と深い因縁を持った人間だったのだ。アキとユリとアカネの三人が、実は「ある意図」を持って計画的に近づいてきたことに、私は最後まで気付かなかった。しかしこれはあくまでも結果論である。イケてはいないが、さほどに煙たがれているワケでもない自分としては、普通にお近づきになる生徒さんたちと区別できるはずもない。ただ、ヤケに人懐こい生徒さんだな、と思っただけである。

 

 夏休み、生徒たちは保護者とともに三者面談を受けることになる。

7月下旬の某日、ドヤドヤと足音がしたあと急に静まり、なにやらガヤガヤ声がしたあとに

『せ~の、失礼しま~す』
数人の声が重なっている。


「おう、どうぞ」
暑くてどうせ扉は全開なのだ。

 

『おっす!』

『あはははは…』

『失礼しちゃいま~す』

 その3人が理科準備室にやってきた。この日3人ともになぜか色リップを塗っていなかった。いつもは必需品なのに…

 

『ねえ先生、面接までの間ここにいても良いですか? あ、カバンも置かせて

 ください』
とユリ。
「ああ、面接ね… うん、どうぞ」
『へえ、こんな部屋なんですね,、入るの初めてです… あ、ヌイグルミがいっ

 ぱい。これセンセの?』とアキ。
「ああ… 恥ずかしいけどさ、趣味なんだよね、あ、この椅子、好きなのに

 どうぞ」
『じゃ、失礼します。ええ、そんなん…可愛いですよ、アタシも家にいっぱい

 あります』
「へえ、あのさ、東京行くと1万円札握りしめてさ、銀座の《博物堂》って

 お店に買いに行くんだよ」
『なんで銀座まで行くんですか?』
「この子(ヌイグルミ)たち、その辺じゃ見掛けないでしょ。ちょっと特殊な

 子たちだから」
『そういえば不思議な感じのものばっかりですね』
「子供ウケはしないかな… 絶滅した生き物や、授業で出てくるようなまじめ

 な生き物… あとは私の趣味ね」
『たしかにその辺のお店とか水族館とかじゃ無さそうな… あ、だから銀座

 まで行くんだ』
「そう、そこだけのヌイグルミを買うため…ネットでもあるけど実物見たい

 でしょ?」
『だからか… わぁ、触ってもいいですか?』
「ご自由にどうぞ」


『あ、アキずるい。ユリもそれが良いの』
『あ、ユリっ! あ、それより、先生良いもの飲んでますね』
「ん、この冷茶? 夏には欠かせないね、これは」
『アキはね、喉がカラカラで倒れそうで、あと3分で熱中症になるんです…』
『ユリも…』 『アタシも倒れる…』 声が重なった。
「あああ? おいおい、ホントに熱中症か? 元気そうじゃん?」

『そんな… 疑ってるのぉ 3人倒れたら新聞載っちゃうよ、センセ』

『あはははは… そうそう』

「あああ、はいはいわかったわかった、冷蔵庫はあそこ、ボトルは冷凍室、

 お茶は冷蔵室だ… かなわんな… 」


『やったぁ!』

『ひやっほぉ!』
アキとユリが冷蔵庫に向かう。
「ボトルの下半分は氷だから、その上に冷茶を自分で注ぐんだ、セルフで

 どうぞ」
『はぁい、まかせて、女子力見ててね』

 

『アタシ、アカネです。よろしくお願いします』
この瞬間を待っていたようにアカネが話しかけてきた。


「おう、いつだったかちょっと話したよね。覚えてるよ…カエルさんが好き

 だって言ってたね」
『え、覚えててくれたんですか』
「珍しく、ね。私は顔と名前を覚えるのが苦手なのに、フシギなんでだろ?」


『ありがとうございます… アカネは田舎育ちだから、カエルに親近萌えなん

 です』
「なら、この子たちはどう? カエルさんにシッポが生えたようなもんだけど」
私は2m後ろにある水槽を指さして言った。


『なんですか、これ。あっ、これイモリ… ですよね。4匹も!』
「おお、さすが! あとで手を洗うなら、触っても良いよ」
『ええっ、良いんですか? この両生類さんの湿気た皮膚の感触がたまらない

 んです」
「これね、卵から育てたんだよ」
『わっ、スゴ過ぎる。手を洗うって、たしか毒があるんですよね』
「良く知ってるね… ん、フグ毒と同じテトロドトキシンという毒を持って

 るんだ、でも洗えば何ともない」
『フグじゃないのに、不思議ですねぇ』
「まったくさ。育てると可愛くてね。去年は9匹いたんだ。夏の暑さでやられ

 ちゃってさ、5匹は神に召された…」
『え、可哀想』

 

『センセ、ゴチソウになります!  あ、これアカネの分ね」 とユリ。
『あ、ありがとう、ユリ』
『あ、おいしい… 生き返るね』
『アイスも食べたいな』とアキが呟く。
「ないない、在庫がない」
『今度でいいよ』
「なにがいいよ、だよ」
『だって、さっき女子力見ててくれなかったでしょ?』
「お- まいがっ… 気付いてた?  ごめんね… ふふふ…」

 

『両生類って英語で何でしたっけ。いつも忘れちゃう』
お茶を二口飲んだアカネが、再び問いかけてきた
「おお、Amphibians(アンフィビアンズ)だったな。で、爬虫類は

 Reptaile(レプタイル)ね」
『あああ、気に入らない! 先回りされた。セクハラ~』
「なんでセクハラじゃ!」 
『ふふ、言ってみただけだよ~』
みんなで笑い転げる。

 

「でもさ、不思議に私は爬虫類とかと波長が合うんだよな」
『え、それじゃ高山先生レプタイルかもよ』
「ははは、否定はできんな」

 

『ねぇ、これ何の人形?』
とユリ。ユリは母子家庭に育っているせいか、こんなときには半分親し気に、

半分は挑戦的に語り掛けてくる。


「それはヒラメ… この向きだからカレイの可能性は低いな」
『え、何が違うんですか? 差なんてあるの?』
「ずばり、値段だね、ヒラメの方が高級魚。それは冗談としてもね、背中を上にしたとき、ヒラメはだいたい顔が左になる。
 例外もあるけど、左ヒラメに右カレイが原則ね」
『えぇぇ、なに? わかんないよ』


「それよりお腹を押してごらん」
『お腹ですか?』
と言うのと同時にピィ~ッと笛の音が響いて、
『ヤダなにこれ、可愛い!』

 

『え、これなんですか…イカみたい』とアキ。
「ああ、それは今は居ない生き物で、アノマロカリスね」
『もう絶滅しちゃった?』
「うん、ざっと…6億年くらい前かな。あ、それは押しても鳴かないよ」

『なんだ、もう押しちゃったじゃん… 泣かねぇし… もう、早く言ってよ』

「ふふふふ、せっかちだなぁ」


 もうあとは『可愛い』『柔らかい』『わ、なにこれ?』とかやりたい放題で、

思わずこちらも楽しくなってしまった。

 

ひととおり騒ぎが鎮まると、ユリが言い出した。
『あのね先生、ユリは部活の連絡係になったから、連絡先教えてもらえま

 すか?』
「わかった。えっと、部長の…マリコさん? も連絡先知らんから、じゃあ

 ユリから伝えて」
『わかりました、任せて』
「じゃ、言うからね、080-✖✖✖✖-●●●●だ」
『待って、早い、もう1回』


「ははは、080-✖✖✖✖-●●●●だよ。残念ながら私はまだガラケーだ」
『ええ、ガラケーですか? 遅れてますよ、スマホに替えましょうよ』
スマホは高そうだし、扱い難しそうだわ、やなこった」
『わぁ、原始人! じゃ原始人、一回掛けますね』
「ああ…そっか、そうするとユリどのの電話番号もわかるね。サンキュー」


『あ、あたしも掛けて見よ』とアキがつぶやく。
『アタシも』とアカネ。イモリを手に乗せたままポケットからスマホを取り出す。
「おお、きたきた、この番号はどなたかな?」
『最後9なのはユリだよ』
『0はアカネ』
『3はアキね』
「わわ、どうやって登録するんだっけ?」 とガラケーにさえ慌てる私。

 

『あ、たいへん、もうこんな時間。面談に行かなくちゃ。もう失礼します』
『あ、ホントだ! お茶、御馳走さまでした』
『ごちそうさまでしたぁ、また来ます』

 3人はどやどやと準備室を出て行った。こうして私のガラケーにはユリ、アキ、

アカネの電話番号がメモリーされることになった。数日後にはマリコの番号も追加されていた。

 

 なるほどね、面談だから今日はリップという「口紅」を塗ってなかったんだ。周囲の高校では「時雨の女子は可愛い」とか言われるらしいが、何のことはない。それはリップという名の口紅やアイプチと、放課後そのまま商売できそうな化粧の成果に違いなかった。そんなことも、当時の私にとってはわずらわしく…はっきり言えばどうでも良いことだった。私一人が張り切って摘発し、説教したとしても、空しく空回りするだけのことである。

 ここにも確固たる自分を持ち周囲に流されない立派で純朴で生真面目な生徒さんが一定数居たことも事実である。むしろ私が見習わなくてはいけないような模範生もいた。しかしだからといって、私の精神が救われることにはならなかったが…

 

 いまだに私はこの学校の方々への不信感が消えず、学期中も長期休業中でも、やむを得ないとき以外ほとんど職員室にいることがなかった。

 しかし… とにかく準備室は暑いのだ。締めきれば、イモリやアホロートルウーパールーパー)が熱死する温度になる。そこでやむなく窓を開け、扇風機と理科室にある冷蔵庫を利用することにしていた。

 

  PETボトルに水を半分ほど入れ、冷凍庫に置くと数時間で凍る。これに百均で買ってきた冷蔵庫で冷やした茶などを注ぐと、いつでも冷たい飲料を飲むことができる。

 予備とお客様用を含めて四本持っていることにしていた。以前アキ、ユリ、アカネの3人が面談の前に理科準備室で飲んでいってたのが、この氷ボトルに入れた冷茶である。ちなみに、PETボトルのPETは、愛玩動物の意味だと信じている人は意外に多い。単に化学的な素材の名称が ポリエチレンテレフタレート(PET:Poly―Ethylene Terephthalate)であるだけで… しかしなんともちょうど良い名前だ。


 この夏、何LのPETボトルの茶やジャスミン茶、麦茶にウーロン茶が私の食道を通り抜けたことだろうか。百均で売る2Lの容器をリサイクルステーションに捨てるたびに、「数えておけば良かった」と後悔した。データを取っていれば、何か論文が書けたかもしれない。書かないけど(笑)。

 

 こうして徐々に、彼女たちだけでなく何人もの男女生徒さんが、時には… 相談事とかグチとか人間関係とか成績とか… いろいろな用件で準備室に出入りするようになってきた。これは今までいたどこの学校でもあることで、私は誰にも丁寧かつ誠実に対応したつもりである。またこうして得た情報を決して職員室には漏らさなかった。それが信頼してくれた方々への礼儀というものであると信じて疑わなかった。

 

 あの娘たちもその一部だが… 幾度も来るうちに私のおやつの収納場所…というか隠し場所まで覚えてしまい、時に談話室のティータイムのように歓談していくこともあった。
 正直なところ、これは理屈抜きで楽しかった。