魅入られて 第2章 因果応報 1節 冤罪

2章 因果応報


1節 冤罪

 

 この地方の某所に、昔は蛇塚(くちなわづか)と言われた場所がある。


 今は近代的で素敵な地名になりかわり、地元民でさえ元の地名を知るヒトは少ない。近くの台地にはやや有名な神社があり、古代から少なからぬ民が暮らしてきたことを暗示している。現代では、昼には昼の旅客列車が十分おきに走り、夜中は夜中で貨物列車が十五分おきに走るような繁華な路線であり、そのために踏み切り音が頻繁に鳴り響く、そんな場所である。


 その踏切をクルマが通ることはない。住宅地を細かくすり抜けていた道路を、むりやり鉄道が切り裂いた結果生じた、ヒトとせいぜい二輪車がゆるゆると通過するだけの狭く小さな踏切である。

 たまに、いや規模の割にはしばしばと言った方が適切かも知れないが、人身事故がちょいちょい起きていた現実があった。人身事故というのは、ほとんどが飛び込みである。もしかしたら…その場には「死にたくなったヒト」や「死にたくなるようにさせる」ような独特な「何か」があるのかも知れない。駅からほどほど離れているその踏切ちかくでは、列車の速度は時速80kmほどで、ヒトが列車に挑戦しても間違いなく負ける… いや、どんなに勇気があっても勝てるものではない。引き分けにさえなることはない。それが物理学の原則というものである。

 

 気の毒なのは運転士と車掌で、赤みがかった肉塊を、打ちどころによっては挽き肉を拾い集めることになる。これを怠ると有無を言わさず死体遺棄罪が適用されるため、仕事として行わなければならない。夜の貨物列車は運転士一人であるので、暗闇も手伝って状況はもっと悲惨になる。

 この御遺体の隠語は「マグロ」だそうで… ただしばらくマグロの刺身など喰えない心境になること疑いなしだろう。余談ながら、視覚の気味悪さは場数や時間経過によって慣れるものらしいが、『あの臭いだけは…』何時まで経っても、何回経験しても慣れないものらしい。


 ただそんなことはお構いなしに踏切は踏切であることを続けていた。地元には生活のために必要不可欠な踏切であったが、だからと言って誰もそこに感慨を抱くものはいなかった。物語はその踏切のあたりで始まった。

 

 いまを遡ること二百余年、そのあたりで一丈半(約2,7m)を優に超える大きな蛇が捕まった。結論から言うと偶然であり、その蛇には何の罪も無かった。しかし… 場といいタイミングといい、これ以上に運の悪い状況はなかった。

 

 そこは納屋で、農作業に欠かせない道具やら、食べる寸前の農作物やらが無造作に置いてあった。蛇は物陰にただ潜み、夜になるとその場に出没するネズミを狙っていた。しかしそこに倒れこんだのは、数年前に輿入れしてきた嫁である。おそらくは今で言う脳卒中とか心筋梗塞とかの発作だったのであろう。


 驚いたのは蛇である。急いで逃げ出したところを、嫁が倒れた音に気付いた旦那に見つかってしまった。旦那としてみれば、この蛇に何らかの嫌疑をかけたとしても不思議とは言えない。科学自体が未発達で、そもそも庶民には無縁である。例えばヤマカガシというどこにでもいる蛇が、じつは奥歯に毒腺を持つ「毒蛇」であるとことがはっきり分かったのは、そう昔のことではない。

 

 ましてや、非科学どころか魑魅魍魎(ちみもうりょう)やら迷信やらが渦巻く時代のこと、嫁を仇なしたのがくだんの蛇だと思うのはむしろ自然とも言えよう。

 

 さて、蛇を捕まえるのは、さほどの難事ではない。尾をつかむなり踏むなりして動きを止め、手か棒で喉首あたりを押さえれば、もう反撃を食うことはない。あとは力負けさえしなければ、十尺(約3m)ほどある蛇でも容易に無抵抗にできるものなのである。もっとも日本産の無毒ヘビに限る…と言っておいた方が良いかも知れないが…

 
 蛇は捕まったあと、欠けがひどくなりつつあった高さ二尺、高さ二尺半を超える大きな甕(かめ)に閉じ込められ、荒っぽく木の蓋(ふた)を被された後、縄で結ばれて縛られて放置された。嫁の介抱が先決で敵討ちは後回しにされたのである。

 

 嫁はおよそ一刻(2時間)後には誰もが諦める状況になった。身体の温もりは去り、心臓が停まって酸素不足になった全身の組織が蒼くなってきたからである。

 

 その後は粗末ながらも葬式が続く。誰もが蛇の仕業を呪いながらも、しかし咬み痕がないことなどを気付きもしないのだった。蛇に咬まれたなら、咬み痕が遺るのが当たり前のはずだが、少なくともそれを話題にした者はいなかった。蛇の呪いを信じていたのかも知れないし、旦那に配慮しただけかもしれない、しかしそれは蛇の冤罪(えんざい)を認める結果になったのだった。

 

 そういえば… 

「蛇」という動物は、地域や民族の壁えを越えて、不思議と「執拗さ」とか「強烈な性欲」とかの象徴とされていることが多い。同じ爬虫類であるカメやワニ、ヤモリやイグアナ、就中(なかんずく)同類のトカゲには、そういう配役というか性格的カテゴリー分けはなされてこなかったのに… なぜか?

 

 勝手な考えを羅列すると… ひとつには「比較的大きなエサを巻き締め、アゴの関節を外してジワジワ飲み込む」という採餌方法、ふたつめには交尾時間が長いという生態、みっつめにはまばたかない目、よっつめには分かり易く脱皮するという「再生力」、いつつめに手足がなく見ようによっては全身が男性器に類似するという外見…

 

 しかも性の象徴として登場するヘビの性別は、決まって男性側である。キリスト教には詳しくないが、たしかアダムとイブに「禁断の木の実(リンゴらしい)」を食うように唆したのは、確か蛇さんではなかったか?

 

 こうして、人間というものがすぐ近くにいる生活が始まった大きなメス蛇だったが、そのうちわずかながらに「人語」というものを解し、興味を持つに至ったらしい。誰もが口にする悔やみの言葉、ときおり及び腰で甕を開けた人間がおのれに発する怨嗟や罵倒の言葉、食べ物や酒を要求する言葉… ただ発声器官を持たないがゆえに、意味はわかっても意志交換は至難だっただろうが…


 やがて葬儀も終わり、この蛇の命も終わるときがやってきた。しかし結果的にはこの蛇の想いがこの後二百年以上にわたって受け継がれるとは、蛇自身にも予想していなかった。この蛇の数奇な運命こそが、今度の騒動に深く関係することになる。

 

 そろそろ登場人物の名前をあげておこう。
 旦那は弥吉。男盛りの年齢である。やや大きな農家であり、数人の小作もいて、家計は裕福とまでは言えないが何とか回っている。亡くなった嫁はみよ。明るくにぎやか好きで、舅と姑以外には可愛がられる存在であった。弥吉とみよの間には一男一女があり、長子は3つで名はまゆ。跡取り息子は仙太郎と名付けられ、大事にされていた。


 まもなく殺されるはずのメス蛇は、これから尋常ではない運命を辿る。この蛇は白化個体、いわゆるアルビノに近い変異体であり、目立つだけでなく、どことなく神々しいオーラを感じる外見である。ために『ユキ』という仮名で呼ぶことにしたい。

 

 アルビノに「近い」というのにはやや説明が要る。
 一般のアルビノは、チロシンというアミノ酸代謝異常が原因となって、紫外線を吸収する「メラニン色素」という黒い色素を体内で合成することができない変異である。毛髪は白く、肌は血の色が透けて桃色がかっている。虹彩はヨーロッパアナウサギのように赤く、網膜で光を吸収しきれないために視力は非常に弱い。ちなみに、網膜にはメラニン色素があるから、瞳は黒い。いわゆる白人は「青い目」だと言われるが、青く見えるのは「光彩」であって、「瞳」は黒い。しかしメラニン色素量が少ないために、紫外線には耐性が少ないとされている。白人がサングラスを付けるのは、実用も兼ねているからなのだ。ただ恰好つけるためではない… ことにしておこう。

 

 ヘビだけでなく、ナマズ、クマ、ペンギン、カンガルー、スズメ、さらにカラスに至るまで見られる変異であるが、目立ちやすさとそういったハンディキャップとが負の効果をもたらして、自然の中での生存率は非常に低いとされる。


 余談ながら、アフリカ中部のニグロイドの一部には、このアルビノ遺伝子が奇妙に多い集団があり、この遺伝子をたまたま両親が持ち(または隠し持ち、)劣性(潜性)ホモ接合体となった場合にアルビノニグロイドが誕生する。
 現地のシャーマニズムに近い宗教では【アルビノの人間には神秘的な力が宿る】とされ、ために崇められる…ならまだしも、呪術的な儀式に使うために誘拐され、身体の一部を切り取られたり殺害されるなどという狂気が現代でも行われているという。

 

 ペットショップに行くと、白変種(リューシスティック)というタイプの変異個体を売っていることがある。代表的なのが、メキシコサンショウウオ、いわゆるウーパールーパーのリューシスティックで、これは通常の灰色体色に加えて「白い色素」を蓄えているために白く見える変異を指す。「ユキ」はこのタイプの白化個体であったようで、目は黒く視力も普通にあった。