魅入られて 2-1-2

 蛇が嫌いという理由として、「まばたきをしないから」と言う方も多い。
もともと穴居性のトカゲから進化したのが蛇の仲間と言われている。穴の中では目に入る土や砂を手で払いのけるスペースはないし、トカゲの手はそこまで長くはない。手は引っかかるし、その分余計に穴を掘る必要もあるし、要するに邪魔なのだ。そもそもの目の構造上、土を払う手は不必要なのだ。

 

 ヒトの場合、角膜の上にコンタクトレンズを載せて使用しているが、ワニや蛇といった爬虫類は、角膜の上に初めから瞬膜(しゅんまく)という透明な膜が常時被さっているので、目に土が入ることはない。鳥類では、この瞬膜が時折上から瞬間的にまばたきをする様子を見ることができる。そして本物のまぶたは下から上に閉じて目を閉じて眠るのである。ヒトではこの瞬膜は目頭付近に「痕跡器官」として、控え目に遺っているに過ぎない。

 蛇にとっては、瞬膜と角膜の間はいわば体内であり、まぶたによるまばたきは必要が無いのだ。

 それでも瞬膜が 傷ついたりすることはある。しかしそこは彼ら一流の手段で、外皮まるごとを取り換えてしまう。蛇もワニも亀も… 爬虫類は脱皮のついでに、瞬膜も交換している。もし抜け殻を見る機会があれば、眼のあたりをじっくり観察してきていただきたい。そこに見える「眼」の跡、それが瞬膜である。

 

 こんな動画を見たことがある。

何かに夢中になっているネコの後方に、そっとキュウリを置いてみる。

ネコは気付かない。

 しかしキュウリに気付いた瞬間、ネコは飛び上って逃げるだろう。

それを見ていた人間は、あまりの豹変ぶりと大袈裟な反応に笑い転げる。

 別にキュウリでなくても良いのだ。やや太めの、長いものなら。

 

 そしてその行動は、ヘビを知らずに育ったネコにも見られるものなのだ。つまり… ネコは誰に教わらなくてもヘビの形状をしたものを本能的に恐れ避けていることになる。ネコだけでなく、恐らく哺乳類の頭脳には、ヘビの形状をしたものを反射的かつ本能的に逃避する「古くからの記憶」が受け継がれているらしい。哺乳類は中生代トリアス紀に誕生したとされているが、その当初からヘビは一番の天敵であったに違いない。

 長いものを恐れた者は生き残り、避けない仲間は… とっくに滅びたのだろう。

 

 蛇足が過ぎた。
 ユキは自分の命をとうに諦めていた。しかし腹の中の卵だけは何とか生き残らせたかった。交尾は済ませている。卵、卵だけでも甕の外に産み遺せれば… 暗い甕の中で、それだけを執念深く願い続けていた。 


 しかし思いを果たす前に、処刑のときがやってきた。弥吉がギトギトするほど研ぎ澄まされた鎌を持ってやってきたのである。頭の後ろの急所を押さえつけられた。もうあとはうねることしかできない。細かい言葉は覚えていないが、要するにひと思いに殺しはしない、じわじわ苦しみぬかせてやる、ということだろう。
 尾部を踏まれたあと、尾の先にひんやりする感触が十数回刻まれ、そのたびに肉片が増えていった。大小便に卵を産み出す総排泄孔をかすめた切断を最後に、今日のお仕置きは終わった。

 

 どういうわけか、斬られた肉片とともにユキは甕の中に戻された、上からほどほどの量のなにやら刺激のある液体が注がれ、また蓋が閉められた。蛇は水分を獲物から採り、直接に水を飲むことはまずない。しかし乾きかかり、出血も重なった体では刺激のあるこの液体を飲んでみるより仕方なかった。
 飲むとなにやら陶然として痛みが薄らいだ気がした。そう、この液体は酒であった。弥吉は蛇酒を造ろうとしていたのであろう。蛇酒は一気に溺死させず、なるべく蛇を苦しみもがかせて、精気を酒に溶け込ませるように造るのだというが、今回は急なことでもあり、酒自体が足りなかったこともあるだろう。また明日にでも買い足せば良いのだが、この徳利を容器として利用するには、いまこの甕の中にぶちまけておいた方が良いワケだ。なにせPETボトルなどがない時代なのである。ユキは切断されたことで、尾を利用して甕の縁まで立ち上がってみることも難しくなっていた。
 もう命を永らえ、卵を産み残す術はないように思えた。

 

 ところが、この瀬戸際になって、ようやく天が味方してくれるようになった。今までの不運を詫びるかのように、一転して偶然のような幸運が次々にユキを訪れた。
 もっとも深傷(ふかで)のユキにとっては、むしろ死んだ方がラクだったかも知れない。生き長らえる方がよほど過酷な運命だとも言えた。

 

 まず… 弥吉が転んで大量の出血に見舞われた。転びかけて何とか体勢を立て直すために手を振り上げたのだ。普段ならそれで良かった。しかしその日に限っては、その手に鎌が握られていたのである。恐ろしいほどの出血だった。内腿の動脈が切れた弥吉は意識を失い、生死の境を彷徨うことになった。
 
 もう一つの幸運は、縁者のひとりがやや迂闊者だったことである。弥吉の出血騒ぎでユキが入れられている甕(かめ)の、荒い木の蓋を開けて、改めて中を確認してみる気になったのだろう。ユキは痛み痺れと疲れとで、動くことができなかった。それをこの男は「死んでいる」と勘違いしたのである。弥吉は意識不明で、当面起きるまい。蛇はすでに死んでいる。なにか不吉だし、もう不要なら埋めてしまおうか。


 ヘビ嫌いのこの男は、甕の中を出して死骸だけを埋めるより、甕ごと全てを埋めてしまう方を選んだのだ。彼は息子を呼び、家の北側の縁の下に一緒に穴を掘り始めた。ここで決定的な幸運が舞い込むのである。この男の息子の鍬(くわ)は、土を埋め戻すときにわずかに甕に触れ、甕の肩の部分に少々の穴と亀裂が生じたのである。
実は男も気付いてはいた。しかし蛇はどうせ死んでいるのだし、これから埋めてすべては土に還るのである。