魅入られて 3-4 年末
4節 年末
夏休みもそうであるように、冬休みにも補講がある。ありがたいことに三者面談はないので、午後は比較的落ち着いた時間を過ごすことができる。冬休みに入って、理科準備室への来客が増えた。来るのはたいていイツメン(いつものメンバー)である。
きょうはアキ、アカネ、ミキの三人。不思議なことに、この3人での訪問は初めてだった。
私は内心ビクビクしていた。よく見れば、特に親しく会話してきた3人、しかも嫉妬心がウルトラスペシャルストロングの娘たちなのである。
しかしこうなっては仕方がない… さりげなく会話しながら様子を見た。
「寒いね… 紅茶淹れられるよ、飲む?」
『うん、ありがとうございます… そのつもりだったぁ』
『あ、お湯はそこのポットでしょ? あとはアキが淹れてあげる』
「ティーバッグは…」
『あ、はいはいわかるから… センセはそこ座っててね』
動きかけた私を制してアキが言った。
「…お、ありがと。気が利くね」
『寒いから窓閉めるからね』
窓際でサッシの動く音がした。次にカーテンを引く音がして、少し部屋が暗くなった。
『ね、お菓子はぁ? ね、いいでしょ』
とミキ。
すでにお菓子専用の引き出しを開けかけている。
『ねぇ、アカネはね、先生に見てほしいものがあるの』
「どれどれ」
ここからは、敢えて名前だけは◎◎◎という伏字で表現させていただこう… 申し訳ないが…
それは一応彼女たちへの配慮でもあり、私自身のためでもある。しかしながら…勘の良い方ならば、恐らく推測できてしまうだろう…な。
先日撮ったという動画を見ていると、◎◎◎が紅茶を持ってきてくれた。
『粗茶でございます』
「上品だな… 似合わんぞ、◎◎◎」
一口すすってまた動画を見る。会話する。話を聞く。紅茶をすする。会話…
「これってさ、あそこの… モスの近くの公園だよね」
『えっ、なんでわかるの?』
「バックにランドマークのビルが写ってる」
『あっ、ホントだ』
「よくみんなでフリを合わせたね… tik-tokにでも投稿するの?」
『もうしたよ。練習頑張ったもんね、◎◎◎』
『ねえセンセ… お菓子もっと出してもいい?』
「…ってもうさぁ、実質引き出し開けてんじゃん… 2回目だし」
『コレコレ… これ好きなんだ、アーモンドチョコ』
『あっ、あたしはジャガリコがいいな』
「じゃかしい、どっちか1個にしろ! 小遣い少ないんだからな」
『このあいだね、初めて食べたお菓子、美味しかったんだ… えっとね』
『どんなの?』
『えっと、なんていうかさぁ ポテチあるでしょ?』
『ポテチ大好き!』
『そのポテチにチョコがかけてあるんだ』
『え、なにそれ?』
『しょっぱくて 甘いの? 合わないよ、ぜったい』
『それがね、合うのよ』
『うそでしょ?』
『ホントだよ… アタシも最初は合わないって思ったけど、相性バッチリ』
『有り得ないっしょ』
『だよね』
『でもね、叔母さんちから送って来てくれたの… ロイドだったかな?』
『待って… 聞いたことある気がする。』
「それって、たしかロイズとか言わなかった?」
私も口を出した。実はときどき家でお取り寄せしては食べているのだ。
『そうそう、そんな名前… すっごく美味しいの』
そう言いながら、彼女たちが食べているのはアーモンドチョコである。
そのアーモンドチョコは美味しかったが… 4個、5個と食べるうちに頭がボッとしてきた。話が頭に入らない。
なにこの倦怠感は…
「ごめん、なんかボッとしてきてさ、すごく眠いみたいな感じなんだよ」
『いいのよ、センセ』
◎◎◎の目がかすかに笑っていた。
『大丈夫? アタシが介抱してあげるよ』
『あ、アタシもっ!』
彼女たちのうちの二人が一層近くに寄ってきた。もう服と服とが接触している。彼女たちの体温を感じる…
数瞬後…
◎◎◎がいきなり私の膝の上に腰掛けてきた。戸惑う間もなく、柔らかいクチビルが私のクチビルに重なってきた。
さすがに慌てた私。
「待て、ちょっと待て」
『ダメ、離しちゃ』
アタマをホールドされ、再びクチビルが重なる。
あれ、腕押さえてるの、誰?
『…』
数秒…
『いいのよ先生。アタシたち、この間こんな事しちゃったでしょ。イケナイセンセイだね』
おーまいがっ!
え、それ今バラス?
腕はなんと◎◎◎が彼女の身体と腕とで柔らかく押さえつけているのだ。そして私をまっすぐ見てこう言った。
『そんなこと◎◎◎と? アタシに隠れてしてたの? 先生…
ズルい、◎◎◎もしたかったナ』
今度は◎◎◎がクチビルを重ねてきた。
「うっ…!」
◎◎◎はそれとなく廊下を見張っているようだ。
おーまいがっ! おーまいがっ!
私の手のひらに、腕に、足に、背中に、乙女の柔らかい感触が満ちる。彼女たち自身が私の手をとって導いているのである。鼻腔に甘やかなかおりが満ち、クチビルには彼女たちの体温で溶かされ、唾液と渾然一体となったアーモンドチョコが注ぎ込まれる。
陶酔の瞬間である。
状況は陶酔どころではないヤバさなのだが、そのへんはもうどうぢようもない。
次に映った視野は… ◎◎◎が制服をくつろげ、ボタンを外しているところだった。
おーまいがっ! おーまいがっ! おーまいがっ!
「おっ、おいっ… ちょ、待っ…」
『なぁに… ねぇ…触って、ここ』
目が合った◎◎◎の瞳は潤み…
まさに女の顔をしていた。
おーまいがっ! おーまいがっ! おーまいがっ! おーまいがっ!
ここに至って、わたしはようやく気付いた。これは何かのワナかもしれない。
そうだよ、だって◎◎◎はスマホを構えて… 写真を撮っている… たぶん。
しかし気付いたからと言って、どうすることもできなかった。助けを呼んだとしても、この状況をどう説明しようと言うのだ?
圧倒的に不利だ。立場、男女、年齢というだけでなく、多数決でも負ける。
ここは彼女たちの言うことを聞くしかない。そしてそれは甘美な香りに満ちていた。
いっそ… と私も夢の中でしかできなかったことに溺れてみた。
もうヤケのヤンパチである。
どうせ触ろうが触るまいが、私の弱みになるのだ。あとはもう運命を彼女たちに任せるしかなかった。
そう、他にどうしたら良かったと言うのだ。
チョコとアーモンドの香りが徐々に薄くなり、替わって彼女たちの身体を流れていた血液から作られた唾液そのものの味になってきた。それは… やはり甘くて、ほんのり苦い気がした。手や腕や顔やクチビルに触れる肌はなめらかで温かく、めり込みそうに柔らかく、しかも弾力が若さを秘めていた。
夢のようで、悪夢のようで… やはり夢のような時間はどれだけ続いたのだろう。
そんなに長くはないはずだった。
彼女たちが帰って、しばし茫然としていた。身体には耐え難い気だるさを感じながらも、あまりの現実に精神は高揚しきって… このまま眠ることは出来なかった。
そう、まるで青春時代に初めての彼女と迎えた「眠らない一夜」を過ごした明け方のように…
それに… ぼやけた頭の片隅でさえ、なにかひっかかるものがあった。
彼女たちの舌は…
陶然としながらも、なにかの違和感を感じる私がいた。
なんせ右サイドと左サイドの動きが異なるのである。これはサッカーの話ではなく、彼女たちの舌ベロの動きの話なのである。かつて経験したことのない絶妙なテクニックとでも表現すべきだろうか、とにかくやって真似できるものではない。ウソだと思うなら挑戦してみるべきだ。サクランボの柄をくわえたなら、余裕でちょうちょ結びができるのではないか?
とても人間ワザとは思えない玄妙な動きだったのだ。
そして帰りがけ、彼女たちはいつもとは違うニュアンスの去り方を見せた。
『思ったよりエッチだったね、センセイって… じゃぁねサヨナラ』
『ありがとうセンセ、楽しかったよ~! なんか名残り惜しいかも… バイバイ。』
◎◎◎だけは妙に沈んだ声で
『せんせい、大好き… きょうはね… 』
『ほら行くよ… 早く、◎◎◎』
急かされ、涙ぐみながら背を見せた… それも気にかかる。
そんなことの、なにがなにゆえにひっかかるのだろう?
顔に腕に、彼女たちが遺したチョコと唾液の香りが濃厚にまとわりついていた。
寒くて寒くて目が覚めた。
気付くと… いつの間にか眠っていたらしい。
もう六時半…
「えっ… モウロクジジイかよ…」
とりあえず、家に「遅くなる」とラインを入れておくことにしよう。
まず… 私はゴミ箱を調べてみることにした。どうせゴミは持ち帰っているに違いないが、念のためである。
ゴミ箱にはやはり捜しているものはなかったが、意外にも部屋の隅に目的のモノを見つけることができた。それは錠剤を包むアルミとプラでできた容器ひとつである。彼女たちの誰かが、おそらくポケットに入れたはずのモノが何らかの動きで落ちてしまったのだろう。
「おー まいがっ… マジか、これって…」
ネットで検索して正体を確認した。
初めて見るオクスリ、サリドマイド系のオクスリの包装だった。
もう… 絶句するしかなかった。
あの眠気は明らかに異常だ… 私が睡眠導入剤的なオクスリを盛られたのだとしたら… もしかしたらその包装がゴミ箱に遺されているかもしれない… それが精一杯の推理、しかもビンゴだったからである。
普通の睡眠導入剤(ミン剤)は「抗ヒスタミン系」のオクスリが主流で、その代表格が「ジフェンヒドラミン」などと呼ばれる物質である。かつては「ブロモバレリル尿素」などが一般的だったが、作用がキツイのと、そのキツさゆえに自殺に愛用乱用されたために、今ではもう一般人には入手できないだろう。
サリドマイドは、薬害でその悪名を轟かせた薬品である。かつては催眠薬として一般に販売されていたが、ちょうどツワリで苦しむころの妊婦が使用すると、生まれてくる赤ちゃんの腕の成長が極端に悪くなり… ちょうど肩からいきなり手のひえたような外見で生まれてくる事例が続発したのだ。
サリドマイドは体内でS体およびR体という形で存在し、R体は強い催眠作用を持つ。だから…ちょうどツワリのヒドイ頃に、睡眠薬としてサリドマイドを飲んでいた妊婦さんも居たワケだ。ところが… その頃とは… 胎児の手足が成長するころなのである。S体は胎児の毛細血管の成長を極端に 阻害し、奇形にさせる(催奇形性)性質を持つ。結果として、肩からヒジや、ヒジから手首まで骨格や筋肉が成長しないままに、胴体からいきなり手のひらが生えたような外見でこの世に誕生するのだと言う。同様なことが腰からヒザ、ヒザから足首にかけての部分でも起きてしまい、腹部から足首が付きだす外見になる。ゆえに「アザラシ肢症」という別名もあるのだと聞いた。
R体には強い睡眠作用があるというから、R体だけを抽出できれば良いのだが、悪いことにS体とR体は体内で互いに変身しあうのである。
こうした薬害の被害に遭われた方、またその両親や兄弟、親戚の方々はまことに無念だろうと察し申し上げる。その分だけ当時の欲張りで怠慢な厚生省の役人どもと、その役人どもを買収したであろう製薬会社には怒りを禁じ得ない。
それはそれとして、サリドマイドは当然使用禁止になった… と言いたいが、実は現在も用途を限っての使用は認められている。腫瘍細胞の、つまりある種のガン細胞やガン細胞への血管新生を抑え、アポトーシス(細胞の自然死)を導く特殊なオクスリなのである。成人男性の私には、恐らく催眠作用だけで、直ちに危険ということはあるまいが、ほぼ無力化状態にできる効果はあったことになる。
なぜそんなオクスリがここにあるのか?
そもそもどこでどうやって手に入れたのか?
彼女たちの背景には、途轍もなく黒く、何か巨大なものがあるのではないか…?
不気味だった。私はひたすらに怖かった。知らず、鳥肌が立っていたのは寒さのせいばかりではなかった。
五時半くらいのはずの帰宅は八時を回ってしまった。
普段はなにも言わないヨメ殿が、この日ばかりは機嫌悪そうに
『遅かったわね』
と吐き捨てた。
「ゴメンね、ラインのとおりちょっとモンペさんがいてね、なかなか…」
そう言い繕う私自身に嫌悪感を覚えた。
この日、なかなか寝付くことができなかった。
夜明け前にようやくまどろんだようだが…いくつもの肉塊に抑え込まれて、危うく窒息しそうな…やっとの思いで振りほどくと、巨大なOPPAIに追いかけられる…
普段なら願ってもない吉夢だろうが、この日ばかりはヘンな脂汗をかいて目が覚めた。
今日も学校に行かねばならない。
思わず大きなため息が出て… またシアワセが逃げた気がした。
この日からざっと二週間、年末年始を挟んで交流の空白が続いた。あんなあとで、まるで嵐の前のなんとやらのように…
三学期が来ないことをひたすらに祈ってはみたが…やはり時は過ぎ、その日がやってきた。