魅入られて 1-8 澤風

8節 澤風

 


 九月の終わりとは言え、まだ汗ばむほど充分に暑い。SNSは自粛を求められるわ、管理職には睨まれるわ、アカネとは前のように連絡できないわ… そんな事情で、私は気分転換を試み、一人で出掛けてみた。

 嫁どのは趣味の集まりがあるとかで、早い話がフラレタからでもある。


 県東部の低山地帯近くは、いろいろなスポーツ競技を開催できる施設があったり、ちょっとした憩いの場となる池があったりして、やや不便であるものの、行きにくいという場所ではない。


 この池はいわゆるバサー(バス釣りマニア)が集う池で、日によっては賑やかだが、休日でも人気(ひとけ)を感じないこともある。周遊できる遊歩道の大部分は比較的よく整備されているが、3つの人間専用トンネルのうちの一つは底面が流水でえぐられて少々歩きにくい。

 

 私は職業柄と実用とを兼ねて、キーホルダーにはLEDライトを装着している。暗黒のでこぼこトンネルでは、さすがにときどきこのライトのお世話にならないとコケてケガをするだろう。そうやってゆっくり歩いていると、いきなり空気の揺れる気配と、その直後の局地的な風、そして暗黒よりも黒い影が顔の横を飛び抜けていく気配を感じたりする。

 

 初めてここに来た時、

「出たぁっ!」

と驚愕したものである。

 

 そう、このトンネルにはコウモリが棲息しているのだ。次からは、むしろコウモリさんに会いたくて、ライトも必要最小限にしか点けないし、カメラで静止画・動画の撮影にも挑んだりしてきた。

 私はこの周遊コースが大好きだ。

 

 その池の入り口にあたる辺りに、ひとつの隆起としての「澤風峠」がある。
珍しくスギやヒノキなどの針葉樹の植林ではなく、アラカシやスダジイ、クスといった照葉樹やケヤキクロマツなどが自然にたくさん生えている植生だ。

 

 昨年私は池マニアとしてこの池を捜し、偶然の経緯でこの峠の存在を知った。いや、峠というよりこの峠の下をくぐるトンネルの掲示板に目を止めたのだ。この「澤風トンネル」近くの新しい道路脇には、その由来を記した記念碑がある。
 全文は長いので、まとめて意訳してみよう。

 

 『このトンネルができるまで、このあたりは大変不便で貧しかった。明治のはじめころ、この村の某は、村のためにトンネルを掘ることを決意して試算してみたが、とても独りでは無理な金額だった。そこで人を介してある慈善団体に願い、資金を提供してもらってようやくトンネルを完成させた…』
 ざっと、こんなところだろうか。

 

 当時の技術力と機械力である 。機械力ではなく、手掘りだろう。おそらくは両側から掘り進んだのだろうが、測量を計算を繰り返しつつ方向と傾斜を決め、土の崩落を防ぐための木枠などで身を守りながら、まさに一寸(約3.3cm)単位の積み重ねで掘り抜いたのだろう。出てきた土や岩石も、運んで捨てねばなるまい。それだけでさえ大変な労力とカネがかかることは、容易に想像できる。


 最初は細かったであろうこのトンネルの開通が、この奥の地域にもたらした恵みは計り知れない。さまざまな改良を経て、現在は軽自動車ならすれ違える程度の幅で、高さも充分にある姿に至っている。舗装もしっかりとされていた…はずだ。少なくとも入り口付近は…


 今は新道ができて、その『澤風トンネル』を使うヒトはいないという。


 昨年は嫁さん連れだったためほんの2mだけ入ってみたこのトンネル、その後池には何度か訪れたものの、トンネルには御無沙汰してしまっていた。今年こそはこの慈善人間ドラマの舞台をゆったり訪れてみよう。どうせ独りでめぐる気まま旅なのだ。

 それにしても…すごい人がいたものだ。なんとも感動的な話である。

 

 この季節のことでもあり道脇の雑草は生え放題だが、道自体はきちんと舗装されている。歩くほどもなく、トンネルの入り口が見えた。トンネルの入り口は金網で閉鎖されており、その入り口の手前には大量の枯れ枝や植物の繁茂が見えた。


 しかし、金網の右下には人が二人並んで入れるくらいの金網扉があり、しかも開いていた。はるか出口をのぞめば、向こうも開いている。すべて去年のとおりである。まるで…あれから1年の間、時間が止まっていたかのようだ。

 

 扉をくぐり、一歩二歩… 5mくらいのところでスマホを取り出し動画を撮ってみた。


『エコーが すご~い!』と軽く声に出してみた。

 エコーが本当にスゴクて気持ち良かった。

 

 さ、もう少し先まで行ってみよう。風が涼しい…というより、冷たい。身体も冷えてきたようだ。
 最初は気にもならなかった足元はいつの間にか水浸しになり、アスファルトだったはずの路面も気付けば足首までの泥に漬かっている。防水のトレッキングシューズだからここまで来れたのであって、普通のスニーカーならとっくにブッカ(水没)し、退散を余儀なくされているだろう。


 一歩一歩がニチャグチャと音を立て、しかも感じる重さが増してくる。まるで敷き詰められたトリモチの中を歩くようだ。


 もし…もし、この泥の中から出てきた手が、私の足を掴んだら? ふと変なことを考えてぞっとした。
 本当に何か出てきてもおかしくないような泥の厚みがあったのだ。しかしそんなことがあるのはホラー映画の中だけのことであるに過ぎない。なおも私は歩き続けた。

 

 突然! 止まりたくなって、止まった。越えてはいけない領域に一歩入ってしまっている気がした。この感覚を何と言ったら良いのだろうか。身体も足もすくんではいない。ちゃんと動くけど、動きたくないと手足が訴えかけてくる。


 不意に背筋に何かが… 氷の手で撫でられたような感覚。私は即座に前進を諦めた。

 

 そして振り返った一瞬…

女性の顔が… 見えた気がした。

 

 ハハハ、まさかね、急に入り口の明かりを見たからさ。私の周囲300mには、いわゆる「普通の人間」は居るハズがない。

 

 もし居るとしても、バイパスをクルマで一瞬だけ通るヒトであり、ここに来ることはありえないだろう… よほどの物好き以外は。

 

しかし… この感覚は何だろう。

幽霊だの亡霊だの、科学的にはいるはずがないではないか…

 
「このチキンが…」と自嘲しつつも、40mほど先に見える光を目指して、戻り始めた。

 

こうして「現世」によみがえった私(笑)。思わせぶりでスミマセン!

 

 このあとは例の池の周遊コースをゆったりと巡った。吊り橋を渡ったり、キノコを見つけては写真を撮ったりした。

 キノコ写真は、私の趣味でもある。姿勢の良いキノコ、群がって生えるキノコ…それぞれに味のある写真が撮れる素材である。


 あとはマツぼっくりを拾ったり… この森には恐らく外国産のマツがところどころに混じっているようだし、よく見ると「森のエビフライ」も落ちている。それは…

 
 マつぼっくりの中のマツの実を食べようとして「あの動物」が齧った痕だ… そう、「リス」である。

 

 そしてトンネルには、やはりコウモリが居た。私はじっと動かないままの姿勢になり、ゆったりと観察し、ギリギリの明るさで動画を撮り、満足してその場をそっと去った。
「おどかしてゴメンね、コウモリ君… また来ても… 良いかな?」

 

 帰宅してから今日の紀行をフェイスブック(FB)にアップして一息ついた。

すかさず「いいね」の着信があった。

 

 あ、栗橋さん、ありがと! そういや栗橋さんは今日行った方面にお住まいの同業者である。

 

 メッセージが入ってる。

『トンネルに は、はいったんですか』
「動画のとおり入りましたよ」
『やっぱり… 読んでいたら肩が重くなってきました。  

添付:GHOST MAP』

 

おー まいがっ! 

マジか?

 

「ややや、そんな場所だったのですか? もう入ってしまったではないですか」
『大丈夫ですか? 気分悪くないですか?』
「特に何の看板も立て札もなく、去年も入ったから…
 そうか、それでかもしれない」


『あそこは女の方が出るって、しかも複数』
「複数? 一瞬ひとりだけ見えた気がしたけど、たぶん気のせいです」

 

『扉を締められたらどうするんですか?』
「うっ… お- まいがっ!! 
 扉の閉鎖までは考えませんでした。確かに【普通のヒト】が来る気はしないな…
 そりゃ…絶対《絶命》、ヤバかったかも…です。今頃絶命してましたね、きっと」

 

 冗談めかしく書いたものの、実は私の肩もいつもより重く感じられていたのだった。
ここに至って、初めて私は具体的に幽霊を意識したが、まさか、という気持ちも強かった。

 

 しかし… まさに。
このことはあとでじっくり述べよう。